Tree of Savior

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"闘技場の主 2"

レンジャーマスターのニモーケンが去ってしばらくしてから、今度は扉を叩いて二人が入ってきた。
男性一人と女性一人だったが、フリアムの態度は各マスターに接していた時よりも
かなりていねいなものとなっていた。
(もっともそれは表面上の話であり、心情的にはオルファス・グリムと接していたときほどではないのだが。)

お互いが儀礼的な挨拶を交わしたあと、フリアムは体をかがめてお辞儀をし、謝辞を述べた。

「ヘオシャ将軍にエラナデイル様、わざわざお越しいただきまして恐縮です。」

二人のうち、男が前に出て答える。

「あたたかくお迎えいただき、ありがとうございます。」

フリアムも礼儀作法には詳しいほうだとそれなりに自負していたが、
これほど宮廷の作法をきちんと、かつ自然に身に付けている者と会ったのは初めてであった。
その作法の完成度を見て、フリアムは相手の役職を思い出し、こう応じた。

「宮廷楽士長であり桂冠詩人でもあるエラナデイル様に
こうして直接お目にかかることができるとは、身に余る光栄でございます。」

「いえ、国王陛下から過分な栄誉を与えられただけです。
本当に素晴らしい才能をお持ちになっている方は、ここにおられます。」

男はそう言って、同行した女性に目を向けた。
すかさずフリアムが、言葉を慎重に選びながら受け答える。

「存じております。王国軍の武術の達人、ヘオシャ将軍を知らない者はいないでしょう。
こうして近くにいるだけでも、素晴らしいお力を感じられます。
私は武術にはあまり詳しくありませんが、闘技場を営んでおりますゆえ、
たいがいの剣闘士に対して気後れすることはありません。
しかし、ヘオシャ将軍は違います。」

その後、ヘオシャはフリアムの大仰な褒め言葉に形式的な対応をして、
エラナデイルが再び場を仕切りだした。
当たりさわりのない会話が終わり、ようやく本題に入る。

「ラミン将軍は、来週闘技場で開催される行事を、これまでとは違うものにしたいと思っておられます。」

それぞれの立場に応じた口調に戻るべき状況だったが、ここでフリアムは少し違和感を覚えた。
彼の知るかぎり、ラミンとヘオシャは同じ階級の将軍だ。
そしてエラナデイルも、系統は違うものの宮廷楽士長という官職についており、
ラミン将軍に対して敬語を使う理由はなかった。
さらに、ヘオシャは国王の長女カオニラ姫と個人的な親交があり、
彼女が同じ階級の将軍たちに対等な態度を取っても誰も文句を言わないだろう。
しかしこの二人は今、ラミン将軍に対して上官や大将軍のように尊敬の意を込めて話していた。
"まるで自分がモンクマスターに相対している時と同じだ" ……と、フリアムは思った。

はじめ、会話はエラナデイルに任せたものと思っていたが、ヘオシャが自ら用件を切り出した。

「要は、血生臭い演出はいらないってこと。
国王が用意した慰問行事とはいえ、普段兵士たちがやっていることは戦闘だし、その相手は魔族。
人間同士の戦いであれ、猛獣や魔族と戦うのであれ、大して変わりはない。
だが、国王の命令だから取り消すこともできなくてね。
だから殺伐とした戦いではなく、他のもので兵士たちを楽しませたいというのが、ラミン将軍のお考えだ。
まあ……演武や演劇みたいなものでも良い。
場合によっては、このエラナデイルの手も貸そう。詩人なりに、演劇の台本くらいは書ける。
つまり、首都を離れて辺境に移動する兵士たちを楽しませてくれればいい。
ただし、剣闘は "無し" で。
そんなものは首都の住民たちに見せておけばいい。」

「承知しました。心配はいりません。ラミン将軍とヘオシャ将軍のお望みどおりにいたします。」

「いや、我々の考えではなく、ラミン将軍のお考えだ。」

聞き流してもいいはずだが、ヘオシャはあえて強調した。
その意見はあくまでラミン将軍の考えで、ラミン将軍の指揮官としての兵士を思う気持ちである……と。

フリアムは、ヘオシャとエラナデイルを相手にしばらく会話をしてから、彼らを丁重に見送った。

そして再び一人になったその時、
モンクマスターオルファス・グリムが静かに姿を現し、フリアムに声をかけた。

「出るぞ。オセアニドと話をつける。」

フリアムは行き先も聞かず、クローゼットから長いローブを取り出して羽織りながら言った。

「終わりましたか、外が騒がしいですね。
そのうち、ムルミロマスターが怒り狂って押しかけて来るでしょう。」

ローブを身にまとってフードをかぶると彼の顔は完全に見えなくなったが、
オルファスはとくに気にすることもなくフリアムに言った。

「取り巻きやほかのマスターの味方も、全員連れて来るんじゃないか? 」

「それはないでしょう。来るとしても、ムルミロマスターが動かせる剣闘士は二十人程度です。」

「まあ、そんなことをするようなら、フェリクシアは思ったより馬鹿な女だったってことだな。
で、オレたちが使える剣闘士は何人になった? 」

「五百十二人です。剣闘士だけでなく、闘技場全体でなら千人弱。
フェリクシアのような剣闘士に属するマスターの個人的な追従者を除けば、
オルファス様が命令を出すことで、闘技場にいる者のほとんどが従います。」

「そうだとしても、しょせん金や契約に縛られている者たちだ。あまり信用しない方がいい。
最近頭角を現してきたと言っていた例の格闘家はどうなった? 」

「とにかく腕の立つ者なので、特別に破格の契約を持ちかけているところです。
まあ、一度結んでしまえば、二度と破棄できないような条件は仕込んでありますが。
あいつはマスタークラスにも勝てるほどの実力ですよ。」

「そうか。……さっき、ヘオシャとエラナデイルが訪ねてきたようだが? 」

「特に変わったことはありませんでした。」

「今日は仕方ないが、王国軍の重要人物がひんぱんに闘技場を訪ねてくるのはあまり望ましくないな。
ヘオシャ将軍は軍事担当で、執政や謀略に関心が薄いから大丈夫だろうが……。
問題はラミン将軍だ。あいつは勘が鋭い。何かを察して探り始めたら厄介だ。
とにかくラミンであれ誰であれ、王国の関係者が客観的に見れば、
自分たちの管理外にある千人の武装兵力が合法的に闘技場に常駐している……と考えるだろう。
裏で進めている契約が明るみに出なかったとしても、闘技場の存在自体が非常に危ういのだ。
だから、もし剣闘士たちの宿舎を訪問したいと言われたら、どんな理由でもいいからそれは阻止しろ。
それが難しい場合はムルミロマスターなどに案内させて、
ここの剣闘士たちが規律と所属を持つ武装兵力であることに気づかれないようにしなければならない。
あくまでも喧嘩好きの集団に見せかけるのだ。」

「彼らは偏見にとらわれています。剣闘士が常時待機中の武装兵力とは夢にも思っていないはずです。
もしそう考えたとしても、闘技場所属のマスターはもともと王室に忠誠を誓っている者たちですから、
その可能性は論理的に打ち消されます。
それに、剣闘士の数より首都に駐屯している王国軍の方が多いのですから、心配もしないでしょう。
王室警備隊と三重の城壁の駐屯軍の兵力は、客観的に見ても剣闘士の寄せ集めより強力ですから。」

「それもそうか。だが肝心なのは、把握されていない兵力が存在する、ということだ。
闇に隠れた兵力は、時にその実力以上の力を発揮するものだからな。」

「そう考えると、闘技場を秘密裏のうちに掌握したオルファス様の計画は素晴らしいものでした。
首都に合法的な兵力を保有できる抜け道を作ると同時に闘技場の運営権を得て、
そこからの利益で資金問題まで解決できましたから。」

「だが、直接表舞台には立てず、闘技場に関わるマスターたちを気にかけ、
管理しなければならないという代償を払うことになったがな。」

「それはさておいて、フェリクシアが押しかけてくる前にオセアニドと会いましょう。
この前、私一人で会った時は脅かされっぱなしで大変でした……。」

「普段多くの剣闘士と接しているから、暴力に屈することはないとか言ってなかったか? 」

「いえ、いちいち去勢を張るものですから、笑いを押し殺すのが大変だったのです。
ですから、今日はぜひ同行していただけると助かります。
オルファス様の前では、下手な真似はできないでしょう。
それに、交渉を有利に進められるかもしれません。」

「そのつもりで来ているからな。では、行こうか……と、少し遅かったようだ。」

「はい? 」

「扉の向こうに人の気配を感じる。」

「こんなに早くフェリクシアが来られるとは思えません。
まだ死んだ弟子の後始末に追われているはずなのに……。」

それと同時に扉を叩く音がし、フリアムの返事を待たずして一人の青年が入ってきた。
堂々と入ってきた青年は、モンクマスターとフリアムの方を見ながら言った。

「先客がいらっしゃいましたか、失礼しました。
ですが、エラナデイルに伝え忘れたことがありまして。
急いで駆けつけたため事前に連絡ができませんでした。
軍人というのは前触れもなく現れる習性があるものでしてね、どうかご理解ください。
おっと、ご挨拶が遅れました。私は──」

モンクマスターオルファス・グリムが前に出て挨拶をしながら言った。

「存じております、ラミン将軍。
将来王国軍の最高指揮官である大将軍の座に就く方と伺っております。
お目にかかれて光栄です。私はモンクマスター、オルファス・グリムと申します。
……っと、失礼。客が主の前で先に挨拶をしてしまいましたな。
ご存じかと思いますが、こちらはこの部屋の主であり、ここ闘技場の運営者であるフリアム様です。
女神の熱烈な信徒で、我が教団を支援してくださっているゆえ、
ときどきこうして挨拶に訪れているのです。」

フリアムが挨拶を終えるとラミン将軍がこう言った。

「出かけるところでしたか? どうもフリアム様は寒さが苦手のようですね。
顔も見えないほどフードを深くかぶってらっしゃる。
まあ、今日はそれほど寒くもないですが。」

フリアムがフードの下でぎこちなく笑いながら言った。

「ははは、モンクマスター様や将軍様のような厳しい訓練を重ねて受けた方たちとは違い、
私は体を鍛えていませんので……。
しかし、まことに申し訳ございません。
先約がありまして、これから出かけなければならないのです。」

「いえいえ。連絡もなしに突然訪ねた私が悪いのです。
ただ、私の部下たちが来週、この施設で行われる公演を見ることになっていましてね。
その下見と言いますか……つまり、闘技場を見てみたいのですが。」

フリアムとオルファスは黙り込んでしまった。
当然断る理由もないが、ラミンが希望したことは、今まさに二人が最も恐れていたことだった。
相手は王室警備隊の隊長兼、王室騎士団の副団長であるラミン将軍。
この二つの職を兼任した者は、千年にわたる王国の歴史で九人しかいない。
またその九人は、全員大将軍の座についた。
王室騎士団長は、王国軍全体の総司令官である大将軍を兼任する座でもある。
ラミンが宮廷を守る王室警備隊の隊長についたのは、
元前任者であり現ソードマンマスターでもあるラシュアの強い推薦によるものだった。
ラミンはまだ大将軍に昇格したわけではないが、どちらの肩書きだとしても、
首都内の施設である闘技場を視察することに何ら問題はなかった。
そのうえ相手には、指揮責任のある部下たちが来る施設を下見するという、非の打ち所のない理由があった。

沈黙はほんの短い時間ではあったが、それをいつまでも続けるわけにもいかない。
次善の策は、フリアムが施設を直接案内することだが、
ハイレイバーンの部下であるオセアニドとの約束の時間が迫っていた。
それに遅れてしまうと、オセアニドが退屈に耐えられず、
闘技場まで押しかけてきて中をうろつき、ラミン将軍に見られる恐れがあった。
よしんばラミンがオセアニドの顔を知らなかったとしても、腕の蛇のタトゥーを見れば正体がばれてしまう。
ラミンも陸軍の指揮官とはいえ、王国海軍の悩みの種であるハイレイバーンの有名な部下に関して、
手配書レベルの特徴くらいは覚えていると思った方がいいだろう。
いや、軍部所属ではなくとも、海賊を少しでも知っている者であればおよそ知っている。

フリアムとオルファスはこの状況をなんとか打破しようと策を考えていたが、
それがラミン将軍に怪しまれるよりも早く、彼の後ろに先ほどの二人が現れた。

「ああ、やっぱり。ここにおられましたよ。」

エラナデイルがヘオシャ将軍に言った。

「来るなら声をかけてほしかったですね。」
「みんなで闘技場を見てみないか? 」

と王国関係者同士で会話が交わされる間も、オルファスとフリアムはあれこれ考えを巡らせていた。

と、その時、ムルミロマスターのフェリクシアまでが現れた。
だが、フェリクシアは予想だにしなかった人物たちを目の当たりにし、ここに来た理由を口に出せなかった。
闘技場の関係者ではない外部の人間の前で、
突然対戦表を変更したフリアムと対戦相手を殺したモンクマスターに怒りをぶつけることはできなかった。
考えてみれば、闘技場で対戦表が変わったり不慮の事故が起きることはよくある。
闘技場の関係者だけの場であれば、
親しい人が命を落としたことで怒りを抑え切れず喧嘩になることもあったが、
闘技場と関わりのない人たちの前で、そのような "内輪揉め" を展開するわけにもいかない。

お互い挨拶を交わし、フェリクシアは初めて会ったヘオシャ将軍をじっと見つめた。
王国軍武術の第一人者であるヘオシャ。ということは、女性の中でも最強だということだ。
相手は王国軍の将軍であり、対戦を挑むにはあまりに恐れ多い存在ではあるが、
同性として、そしてマスターとして、この女性が本当に自分より強いのかが気になって仕方なかった。

「そういえば──」

と、フェリクシアは思いに耽る。
ペルタストマスターのマリア・リードはヘオシャ将軍より先に名声を得ており、
あまりヘオシャを意識していないようだった。
ドラグーンマスターのヴァレスカ・ヒミルやフェンサーマスターのソルシャ・ハートンは
もともと名高い貴族の出身なので、へたに動くことはしないだろう。
シノビマスターのユラ・スワヨネは王室の影ともいえる存在であり、表に出てくることは考えにくい。
そしてムルミロマスターである自分もまた、その立場というしがらみに絡め取られている。
ヘオシャが軍服を脱いで闘技場に立たないかぎり、それを確かめる術はないのだ。

もちろんマスター同士も、お互いの実力を確かめることはできなかった。
千年前、タニエル二世の時代にはすでにマスター同士の無分別な対戦を禁じた王国法が作られ、
特別な理由なしでは、マスター同士が生死をかけて戦うことはできなくなった。
ルクリスとリディア・シャッフェンのような例外はあったものの、
王国法廷に妥当な理由を証明できなければ、該当者はマスターから囚人に転落してしまうのだ。

それはさておき。
フェリクシアが現れて挨拶を交わし、ラミン将軍が訪ねてきた理由を知ると、
闘技場所属のマスターで持分の所有者でもあるフェリクシアが、闘技場の中を案内する流れになった。

フェリクシアがラミン将軍一行を連れて部屋を去ったあと、フリアムがオルファスに言った。

「懐柔した剣闘士たちに至急連絡しますが、ラミン将軍でもさすがに気づかないでしょう。
フェリクシアの性格から考えると、闘技場の隅々までは見せないと思いますし。」

「オレもそう思う。ラミンの突然の訪問には肝を冷やしたが、とくに問題はない。
ひとまずこの件については、オセアニドに会ってから考えるとしよう。」

会話を終え、二人もまたフリアムの執務室をあとにした。部屋は再び闇に包まれ、静まり返った。

その時はまだ、誰も知る由もなかった。
この日の出来事によって王国の首都で闘技場が閉鎖され、
フリアムが裁判にかけられる恐ろしい事件の始まりであることを──。

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